2007/02/11
友人とあちこちの店で飲み食いをしつつ、雑談。で、「幽霊はいるのか」という話になって、「もしいるなら、世界が幽体でものすごく込合っている事になってしまうから、やはり生まれ変わりは必要なのではないか?」という話をしていた。その他、宗教話とか、哲学の話とか、もろもろの世間話をしていたのだが、この友人と喋っている時は英語が英語というより『友人語』で聞こえるのである。なので英語で会話する不自由さより、会話の楽しさの方が圧倒的に大きい。これはすごく有り難い。逆にいくら説明しても話が通じない相手もいる。話の通じる相手とだけ楽しくやっていればいいのだが、世の中、そういう訳にもいかない。しかし、話が通じない相手と何とかしようとするのは徒労だと思うのだが、どうなのであろうか?
ちなみにこの友人、英語が第一言語でないのに語彙は英語が母国語の人間より豊かな語学の才能の持ち主だ(数カ国語喋れるらしい)。ものすごく喋りがうまくかつ面白いので、いつかこの友人が喋っているのをこっそりビデオに撮ってあとで繋ぎあわせて映画にしたいくらいだ。もっともこの友人、自分でドキュメンタリーを撮る構想も持っているらしい(この友人が題材ではない)。この友人が何を撮るのか、ものすごく興味があるので、是非とも実現して欲しい。ちなみに映画とかテレビとかではなく映像として何か撮る、という感じのようだが。今月末からこの友人はカナダを離れるので、どんな体験を伝え聞かせてくれるのか楽しみなのと同時に、ちょっとおいてけぼり感と寂しさがあるのも事実だ。

