2007/01/24
先日、友人(ルーマニア出身)と日本の漫画の話をしていて、『マスターキートン』の話をしたら、いたく興味を抱いたらしく、この友人にマスターキートンを読んでもらおうとコミック屋に行くが、今のところ英語版は出ていないらしい。アニメ版はDVDが出ているのだが、やはり、漫画がいい。
しかし、店の人が「Master Keyton? You mean, Manga or DVD?」とごく普通にマスターキートンを知っていたのでびっくりした。しかもDVDがあるのはもう彼の脳内データベースには入っていて、コミックが店にはないのもわかっていて、どこかが既に版権を持っているかどうかのみPCで調べてもらったのだ。(版権を持っていても出版に至ってない場合は、リストに出て来ないらしい)しかもComicではなくMangaと普通に言ってのける。
実は、昔、小学館に電話して「英語版はいつ出るのか?」と聞いたことがあるのだ。「欧米での版権は代理会社が扱うのでウチではわからない」と言われて、ガックリしたことがあるのだが、この話をこのコミック屋の店員にしたら「出版されないと調べられない。版権持っていても出版をホールドしている場合もあるし」とのこと。
で、さっき検索してみたら、マスターキートン、クレジット問題勃発し、現在、日本語版でさえ在庫なし状態になってしまっているらしい。まあ、あそこまで売れた漫画だと印税も莫大になるから、問題になってもおかしくないのだが、作品に関わっていない第3者がゴネているようだ。しかし単純に再販ができないだけで億単位の損失なのでは?
とまあ、雑談からこの友人が結構日本のアニメや映画などを見ていた事が判明。オタクとエキスパートとgeekとnerdはどう違うのか説明してみた。「自らをオタクと称する人間は真のオタクでない」という説明が大ウケしたのだが、日本と違って職人的なひとつの物事を極めるというスタイルはあまり北米にない気がする。「全般に渡ってそつなくこなさなきゃいけませんよ」、というプレッシャーがもっと強い気がする。つまり技の名人があまりいないのだ。ヨーロッパだとこれまた免許制なので、名人になることのプレッシャーが強い気もする。個人的意見なのであってるかどうかは不明。なので日本は何だかんだでテクノロジーを生み出す文化的な背景があるのではないかと思う(のめりこみ度の高さ)。

